>side 富松作兵衛「うん、平熱。だけど今日はまだ休んどこうか。思い出したばかりは不安定だからね、まだ熱が高くなる可能性がある。」
そう言って、善法寺先輩は学校へ向かった。
俺はぼんやりとベッドに寝転ぶ。なんだか、不思議な気分だった。
俺の体は何も変わっていないというのに、昨日のことを思い出すように前世を思い出せるというのが不思議だった。
思い返すと、周りの人間関係はほとんど過去のまま変わっていない。そしてその何人かは同じように過去を覚えているという。少し、話してみたいと思った。
五年への進級試験の暗殺のことも思い出した。プロになってからの様々な任務も思い出した。
ああ、あの頃の俺は敵と呼ばれるものを当たり前のように殺していた。
それがショックだった。自分がそんな人間なんだってことが。
「でもそれは今の君ではない。今の生き方を信じるんだ。」
善法寺先輩はそう言ってくれたけども。
不安だった。そんなふうに割り切れるだろうか。
肉を斬り命を奪う瞬間を知っている。それだけでひどく気分が悪くなる。
ああ、吐きそうだ。
いつの間にか眠りに落ちたらしい。俺はまた過去の思い出の中に佇んでいた。
桜が舞い散る中、俺は立っている。ああ、仕えた城の庭だ。懐かしいな。
「作兵衛。」
声に振り向くと食満先輩がいた。
卒業し、就職した城に先輩がいると知った時は本当に驚いた。
一度の別れが今生の別れになってしまうことが容易に有り得るあの時代に、まさか三年も前に卒業した先輩とまた再会できるなんて思ってもいなかったのだ。
先輩が忍術学園を卒業したあの時、淡すぎる恋心を俺は伝えることができず、しばらくの間先輩を想ってはひとり泣いた。もう二度と先輩には会えないと思った。だから本当に嬉しかったんだ、先輩との再会は。
俺達は先輩と後輩から、上司と部下になった。プロの世界で三年差は大きい。その分、生き残ったということだから。学園みたいに甘い関係では当然なかったものの、やはり既知であることが大きかったんだろう。俺は城の忍衆の中でも食満先輩の下に配属された。
恋心は衰えず、やっぱりずっと好きだったけど、俺はそれ以上の関係は望まなかった。二度と会えないと思っていた先輩と再会出来て、一緒に働ける。それだけで満足だったのだ。
そんな中での出来事だ。
仕えているその城が、落城の危機にある、そんな報告を受けた。隣の領地で不穏な動きがあったらしい。
ぴりぴりと緊張したそんな空気の中、先輩を含めた上層部が会合を開いた。
任務中の肌で感じる危険とは違い、自分の生活の基盤全てが崩れるような全貌が見えぬほどの大きな危機の予兆に、俺はとてもじゃないが長い会合が終わるのを大人しくまっていることが出来なかった。一人詰め所を抜け出して庭の片隅でぼんやりと桜を眺めていた。先輩と二人でよく息抜きをしていた場所だったので、実質先輩を、先輩だけを待っていたと言ってもいい。
「食満先輩。会合、終わったんですか?」
「ああ。」
「……どうなるんですか?」
「説明は明日だ。…大丈夫。城は落ちんさ。」
先輩は桜を仰いだままで目を合わせてくれなかった。嘘をついているな。そう思った。ずっと先輩のことを見てきたんだから、それぐらい解る。
どうなるのだろう。先行きの不透明さがそら恐ろしかった。プロとはいえ、まだ15を越えてから数年のガキだ。今の食満先輩よりも年下の。
死ぬのは嫌だな、そう思った。幾つも命を奪っておきながらなんて傲慢なことだろう。でももう少し生きたいと思っていた。
先輩と離れたくなかった。
再会してからこっち、仕事面では厳しくされたものの、一度仕事を離れると食満先輩はあの頃のままだった。休みが重なると度々二人で遊びに行った。一緒に行った峠のうどん屋は美味しかった。
秋には月見を、春には花見を。夏は星を眺め冬は雪を眺めた。
ああ、この人と、もう少し生きていたい。
素直にそう思う。
こんな稼業だ。きっと俺も先輩も長くは生きられないだろうけれど。それでも、まだ先輩と話したい事が沢山ある。行きたい場所がある。
桜が散る。ぶわりと舞う花びら。空を仰ぐ先輩。
まだ失いたくない。この人と過ごす時間を。
先輩が、好きだ。
衝動的なものだったのだろう。
今この瞬間に、言わなければ全てが消えてしまう焦燥にかられた。無意識の涙が頬を伝う。
「せんぱい」
「おれ、ずっとせんぱいのこと、すきでした」
「これからも、きっと、すきです」
口からするりと出た言葉。
先輩が弾かれた様に俺を見る。
しばらく見つめ合った。永遠のような一瞬。
そして、
「………」
意識が浮上する。
ぼんやりと開いた目の先に、食満先輩がいた。一瞬の違和感。ああ、髪が短い。
今、現代なんだという認識。でもベッドに寝る俺を覗き込んでいた体勢の先輩の顔は、夢のあの時と同じ驚いた表情で、それが少し可笑しくて笑った。
途端、先輩が居心地悪そうに目を逸らす。ああ、食満先輩も覚えてる人なんだ。そう思った。まだ思い出していなかった頃の俺に、先輩はそんな顔見せた事ない。
「…伊作から、思い出したって聞いた。」
「はい…」
「なら、俺とは顔を合わせたくないだろう。悪い。寝顔だけ見て帰るつもりだった。」
「食満先輩、待って。」
見た事のない表情。された事のない態度。それがすごく悲しくて先輩を引き止める。
「許せないだろう、俺が。」
「そんなことないです。」
本心からの言葉だ。そりゃあ、辛かった。悲しかったけど。
「そういう時代で、そういう仕事をしてたんです。俺達。」
端から見れば不幸な生き方だったのかもしれない。でも忍者として生きるときめたのは俺だ。その事に後悔はしていない。だって忍者になろうと決めなければ、左門や三之助とは会えなかった。食満先輩とも。俺は俺の過去の人生が可哀想だとは思ってない。
「聞いて下さい。俺、先輩の事、許せなくなんかないです。」
先輩の握りこんだ拳が痛々しくて、手を伸ばす。触れた瞬間、びくりと先輩がこちらを向いた。
ようやく合った目が、先輩の辛さを教える。
「食満先輩、俺、本当に…」
「俺は、」
重ねて言った言葉が遮られる。伸ばした手を逆に痛いほど強く握られた。
「俺は、お前を殺したんだぞ。作兵衛。」
[7回]
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