委員会にいなかったもので俺としては馴染みが薄い学年だったものの、マラソン中によく野山で出会う竹谷先輩とは仲良くしてもらった。お互い食べ盛りということもあったのだろう。果実や茸の生える場所など教えあっては二人して無言で食べ漁るということがままあり、卒業式の日にはこっそりと秘密にしていたという釣り場を教えてくれた。
「静かな場所だから、一人になりたい時にでも行くといい」
にっ、と笑って彼はそう言った。先輩にも一人になりたい時があったのかと俺は思った。
常に笑っているような、そしてそれが似合う人だったので。
彼だけじゃなく、その学年は総じて笑顔が似合っていた思う。気持ちの良い人達だった。
桜の散る中、彼らは忍びになり学園を去った。
そして今度は俺が五年への進級課題を向かえることとなる。
暗殺と一言で言っても多種多様だ。
まず一番オーソドックスなのはとんでもない悪者がいてそいつを殺す場合。またはそこまで悪者ではないが長引く戦のために殺さなければならない場合。
そして俺ら暗殺を行う側として一番胸糞悪いのは、討たれた城主の一族を根絶やしにしなければならない場合。男も女も、子供や、赤ん坊さえも手に掛けなければならない場合。
俺が最初に殺したのは、赤ん坊を守る母親とその子どもだった。
後に学園の教師になった藤内の話によると、生徒の成長度によって暗殺のレベルを割り当てられるらしい。
この場合の成長度とは、忍びとしての覚悟の度合いや性格。暗殺のレベルは、惨さ。
この度合いからすれば俺は相当覚悟を決めていると思われていたらしい。だからと言って、あんなこと平気でやれるはずもなかった。
その年の冬、一つの城が落ちた。
城主は討たれ、その一族が追われ、そして大量の暗殺の依頼が学園へと舞い込んだ。
任命書に書かれた言葉の無慈悲さはよく覚えている。
言葉も出ずに教師の顔を見れば、無情なまで冷酷に言われた。
「忍者とは忠誠であれ、疑問は持つな。それがどんなに不条理に思える任務であっても」
忍びを目指すならば避けては通れぬ道、と言っている訳だ。
解ってはいる。が、理解は出来ない。したくない。
手渡された真新しい濃紺の忍装束を手に立ち尽くす。
とんでもないところに来てしまったと、久々に俺は思った。
獲物は得意の苦内を選んだ。昔から塹壕堀や蛸壺を大量に掘ってきたおかげで扱いはお手の物になっている。晒しを巻いた持ち手がしっくりと手に馴染む。両手を重ねて大きく息を吐いた。目の前の屋敷に母子がいることは下調べ済みだ。
追われていることがわかっているんだろう、屋敷全体がひっそりと静まりかえり外から伺っても親子の姿は見られなかった。俺は一昼夜、裏の森からその屋敷を見て過ごした。悩んでいた。
理由を探さないとやっていけそうになかった。城の従属になれば生きる為の仕事だとか忠義だとか、折り合いがつきそうなものの、俺は学園に忠誠を誓っている訳ではないのだ。
あの親子が殺される理由は解っている。新たな火種を消すためと、それだけの理由。だけどこの時代にとっては大きな理由。戦が起きる、それだけで何人もの命が消える。そして最初に消えるのは前線に出る農民達だ。そうだ、そんな死に方をしない為に俺は忍術学園に入ったのだった。
決心が付きかけては消え、悩みに悩んだ末の夜。俺は留まっていた杉の枝から飛び降りた。
俺が逃げてもいずれ殺されてしまうなら、俺の手で苦しまず。
出た結論だった。エゴだとは解っていたし、本当を言うとまだ迷っていた。
その迷いを振り切るように塀を走り越える。そっと息を潜め目処を立てていた部屋へと駆け抜けた。
灯りもついていない一室。だけど外には見張りが立ち、中に気配がある。大回りをして埃臭い屋根裏へと潜り込んだ。部屋の真上にたどり着くと部屋の中には俺らと歳の変わらなそうな少女と、胸に抱かれた一歳にも満たないような赤ん坊。
音を立てぬ様天井板を外した。
もう一度苦内を握りしめて、柄頭を額に押し当てる。冷静になればなろうとするほど目頭が熱くなってゆく。ごめん、ただそう思った。
意を決して部屋へと滑り込んだ。少女の背後に飛び降りると同時に胸に一突き、首に一突き。ほとんど何が起きたのかもわからなかったろう。そう思いたい。
引き抜くと同時に後ろに倒れ込む少女の膝の暖かな命。目を瞑って握った苦内を突き立てた。
声も、顔も見なかった。
あとはもう全速力でその場から立ち去った。夜明けが来るまで走り抜け、気がついたら見知った学園の裏々山の景色。行くのに2日かかったのを一晩で帰って来てしまったわけだ。
馴染みの小川に装束のまま飛び込んで血のついた上着と頭巾を脱ぎさる。川に混じる血の色を見て、突き立てた柔らかな感触を思い出した。ぞわりと悪寒が走って、岩に手をついて吐く。
涙が溢れて止まらない。
春と言っても三月、まだ肌寒い川の中で俺は声を上げて泣いた。
次に気がつくと学園の医務室だった。監視役の教師が、任務後いつまでたっても戻って来ない俺を捜しに来て、川の中で倒れていた所を見つけたそうだ。
身体が冷えきり、案の定高熱を出した俺は2日ほど眠り続けていたらしい。
目を覚ました俺を心配げに見た監視役の教師、土井先生は俺に言った。
「合格だ。進級おめでとう。辛い任務だったろう。でも次屋が死んでもあの親子は生き返らない。わかるね?」
この高熱が一種の自傷行為だと解っているからの言葉だろう。俺は頷いた。一息ついて、先生は更に続けた。
「こう言ってはなんだけど…見事な手際だった。きっと苦しまずに逝けただろう」
苦しまずに逝けた、その言葉に、再び涙が溢れる。あの親子に対して少しだけ何かしてやれた気がして。ああもうエゴでもなんでもいい。あの親子があの世で、来世で幸福で過ごせるように俺は泣きながら祈った。
春休み初日が開けても医務室から出ることを許されなかった俺の元に、とうとう最上級生になった滝夜叉丸が顔を出した。
作兵衛に様子を聞いて息せききって来たらしい。
「遅れてすまん。大丈夫なのか?」
「大丈夫っすよ。ちょっと風邪ひいただけ」
起き上がれるようにはなっていた俺の布団の横に彼は座った。
「……大丈夫だったか?」
今度の「大丈夫」は、違う意味だと解った。
「進級はした。俺は卒業して忍者になるよ」
そう告げると、そうか…と滝夜叉丸はなんとも言えない表情になった。課題がなんたるか知っているからこそ、複雑なんだろう。それでも俺が決めたことだ、とそれ以上何も言わなかった。
俺も詳しいことは滝夜叉丸には語らなかった。任務を口外云々の話じゃなくて、俺らは忍びとして生きていくと決めたのだから、殺した相手の死をも背負って生きて行くのだ。彼に語って縋って泣いてもそれは変わらないと俺はもう解っていた。
そして、自分が殺されることも、彼が殺されることも、あり得ないことではなく、むしろ容易にあり得ることだと気付く。
そう、気付いていたのだ。
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