幼い頃から過去がある事が不思議だったんだ。
あの山を覚えている。あの川を覚えている。けど覚えのある景色はビルも車もなかった。
どうやら自分が持っている記憶は、他の人間は持っていないものらしいと気付いたのは、小学校を上がった頃。その頃思い出されていたのは朧げな学園内での平和な記憶しかなかったので、何も解っていなかった俺は他の人よりも知識が豊富だった事を、密かに自慢に思っていた。
新たに記憶が増えたのは、小学校四年の春。十歳になる年の事だ。
人を殺す夢を見た。
両親を叩き起こすほどの絶叫を上げた俺は、そのままベッドから起き上がれないほどの高熱を出し、数日寝込んだらしい。正確な日数は覚えていないが、熱が下がり起き上がれる様になった頃には、俺はあの夢が遠い過去に自らが犯した殺人だということを理解していた。
今まで忘れていた事が信じられないほど、生々しくリアルに、肉に突き刺した苦内の感触まで覚えている。返り血の赤さとあの熱さも。
全てを、思い出してしまったと思った。蜃気楼の向こうにあるように揺らいでいた過去が,突如として目の前に現れた。級友のことも、委員会のことも。十四で人を殺めたあの夜も、そして自分が死んだあの瞬間も。
昔、蝋燭の灯りを頼りに読んだ文献を思い出す。
輪廻転生。
前世の業。
因果応報。
俺は人を殺しすぎた。この業が現世の今、ここに返って来ただけだ。
納得はしてみても、重くのしかかる業。胸が潰されそうな圧迫感に息が詰まる。
なら「俺」は何のために産まれて来たの?
自問自答を毎日毎晩繰り返した。自ら命を絶つことも、考えなかったと言えば嘘になる。けど皮肉にも過去を思い出してしまった俺は、良くも悪くも「命の重さ」をよく知っていた。
業を背負って生きていくべきか、絶望すら感じていた日々。それでも日常は巡る。
一人分の人生の記憶を持ってしまった俺も、現世ではただの十歳の子ども。小学校4年生だ。
丁度春休みの期間だったという事もあるが、毎日を布団の中で、どうあるべきか、どうするべきかと悩み始めた息子に、両親はさぞかし驚いた事だろう。随分心配もされたと思う。
しかし、春休みがあけた新学期のクラスで、俺は思わぬ再開を果たす。
左門と作兵衛だった。
転校生として、この学校にやってきた彼らを見た俺の衝撃と言ったらない。椅子をひっくり返して立ち上がった俺は二人に抱きついてわんわんと泣き出し、再び熱を出して倒れた。そういえばその頃は良く熱を出していた。一種の知恵熱のようなものだろう。
そんなセンセーショナルな再会の後、左門と作兵衛はすぐに俺と友達になってくれた。あいつらの存在は、絶望の淵にいた俺にとってすごく大きな救いとなった。
だってその時点で俺は、滝夜叉丸の記憶を持っていなかったから。
室町の人生をかけて愛した滝夜叉丸のことを、忘れてたって気付いた時はかなりショックだった。
でも当時は忘れてたから、当たり前だけどそんなこと解るはずもない。滝夜叉丸を忘れていた俺にとって、無二の親友だと思ってた奴らは室町の平和な頃の象徴のようなものだった。だからまた出会えたことがが嬉しかったし、この一人で悩んでいた日々から解放されると思ったんだ。ああ、記憶の共有者がいると。
…だから、正直言うと二人に記憶がないって解った時、俺は少なからず彼らを妬んだ。
二人はずるい。なんで俺だけこんな苦しい思いをするんだろう。
でも半分は、安心した。こんな重い記憶を二人が持ってなくてよかったって。自己満足な感情かもしれないけど、友達が苦しんでる姿は誰だって見たくないだろ?
そんな複雑な気持ちだったけど、考え抜いた末に結局俺は二人に過去の話をするのは止めた。作兵衛はともかく左門なんかはあっさり信じちゃうような気もするけど。ま、無理に思い返すことはないって思ったんだ。
それに記憶がなくたって、二人は今世でも俺と友達になってくれた。側にいてくれている。それだけで助けられている。なんだかそれだけで良いような気がしたんだ。
記憶がないなら、忘れるべくして産まれて来たのだろう。そう、思う。
……それなら、俺は?
左門も作兵衛も同じ様な人生を歩んできたんだろう。同じ忍だった者として。
なのにどうして、俺は一人だけ記憶を持って産まれて来てしまったんだろう。
[9回]
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